2001年12月24日

2001年最後の運航日、大利根にサンタクロースが赤鼻のトナカイならぬカブに乗ってあらわれました。
2001年12月5日

今日、大利根ではDG808bが初フライトしました。
素晴らしいの一言でした。
2001年11月30日

リベレが飛び始めました。
中澤、山本、磯谷が乗りました。
すごく、軽くて、動きが良く、マイルドな機体です。
今度の土曜から2週間程、解放します。
乗りたい方はどうぞ。
その後、ウイングレットの取付とハンドラダーの取付を行います。
2001年11月25日

磯谷教官が、モーターグライダーの教官としてデビューしました。
2001年11月21日

待望の女性ニューフェース赤坂さん(左)
吠える瀬尾師匠(右)
2001年11月20日

DG-505MBが飛び始めました。12月までの限定運航です。
1時間まで ¥24,000円/H(1分に付き400円)// 以降、一分に付き300円
3時間以上 ¥60,000円 file://1日貸切料金 ¥60,000円(事前に予約が必要です。)
※ 飛行時間のカウントは、ランプアウト〜着陸までとします。
※ 貸切飛行の場合当日キャンセルには、使用料金の50%をキャンセル費用として申し受けます。
(WXによるキャンセルは、NO-CHARGE)
※ この料金表は、発効日現在有効のもので、予告無く変更する場合がありますのでご了承ください
利用可能なのはクラブ員のみです。
2001年11月6日

ちょっと飯塚の作業が空いたのでリベレが登場しました。(シャチョー)
単座はぁ?(byスダチ他)
・・・・・(シャチョー)
2001年10月27日

待望の燃料車が入りました。ホースが長いので、翼の長いモーターグライダーを横付けにして給油できます。
動力源はバッテリーです。ときどき充電しないといけません。
2001年10月20日
たまには、工場の活動も

三田さんはジュニアの主翼の修理中
第3工場前では松永(マッツァン)がDG505MBのトラブル・シューティング

往年の名機 H-23Cが工場へ搬入されました。整備した上で、大利根で飛びます。

第3工場の中では、ウインパルの藤元さんとマークがプハッチを修理中。

マークと飯塚は模型友達。
事務所の社長席のまわりは乱雑の一言(来週清掃予定)。

完全塗り替えが終了したアローJA3580 もうすぐ約1年ぶりのお目見えです。黙々と作業する秋永。
2001年10月15日


台風騒ぎで延び延びになっていたJMGC代表選手による高校選手権優勝記念BBQ大会がやっと行われました。
賞状を手にして嬉しそうな桜井選手です。隣のシャチョーの方が嬉しそうですね
中一週間おいてのBBQ大会も盛り上がりました。
夜は季節はずれの花火大会でした。考えてみれば対岸の花火大会がきっかけだったんですから、ココは幹事が意地でも花火を上げないと気が済まなかったようですね
2001年10月14日

新しくできた新クラブハウスの喫茶店/スナックのモニュメントができあがりました。
カウリングは当クラブの曳航機 JA4097のものです。
さて、現在の4097のカウリングとどこが違うのでしょうか。
ウインナーソーセージを出す”ギャー”磯谷.
大利根の夜は更けて、ますます元気になります。
アフター・フライトの夜は、ビール、ワイン、ソーセージとミレーヌ・マチューのシャンソンの世界です。
2001年10月8日

新クラブハウスがほぼ完成しました。毎週末はパブ(名称未定)にて楽しい酒盛りが延々行われております。(^ ^;;;
さらに飛行場に男女それぞれのトイレも完備しました。
2001年9月30日


大利根飛行場がやっと9月29日に再オープンしました。
BBQ大会は大変盛り上がりました。山本シェフのチキントマトソース蒸し・・・(なんて名前の料理だ?)大変美味しゅうございました。増田料理長の手作り餃子・・・・大変美味しゅうございました。
ホンダエアポートからのフライイン(ワシぢゃ)、三保からのフライバイもありました。
また、新クラブハウスもほぼ完成しました。先端の曲がったプロペラがオシャレ(笑)
2001年9月21日

台風15号に因る冠水は引きましたが、ヘドロが大量に堆積しています。10年に一度の大冠水の影響はこんなにも甚大でした。9/20からブルが入ってヘドロの除去を行っています。9/22から運用を再開する予定ですが、グラス部分はしばらくぬかるんだ状態が続くと思われます。車の乗り入れ、航空機のタクシングには慎重を期してください
2001年9月12日

台風15号が上陸し本州を縦断しました。その際の増水でまたまた大利根飛行場は冠水してしまいました。今度は土手まで喫水線が来て、新クラブハウスは使う前に浸かってしまいました(泣)
2001年9月2日
JMGCのスタッフとして働いている磯谷教官(学連出身)が曳航パイロットとしてデビューしました。
2001年8月26日
オーストラリア・ワイケリーでグライダーの修理をしているマーク・スタンレー氏が、JMGCの助っ人として、工場で働いています。
稲毛海岸に奥さんと暮らしており、毎日電車を乗り継いで取手に来ています。
毎日がアドベンチャーだと言っています。
2001年8月24日
大利根復旧作業の模様です。
今日のお昼頃に水が引き始めました。
例年の風物詩ですが、水没した飛行場の復旧作業の模様をお知らせいたします。
草地はそのままですが、舗装滑走路はヘドロがたまってしまうので、その除去をしなければなりません。消防ポンプを持ってきて高圧で水を吹きつけて洗い流します。
ポイントは完全に水が引いてしまった後だと、消防ポンプの水源が取れないので少し水が残っている状態でその水を消防ポンプでくみ出して滑走路にぶっかけることなのです。
みんな泥だらけで真っ白になってしまいます。
2001年8月23日
第二号も中澤シャチョーによる大利根飛行場水没ドキュメントです。
8.22 PM19:00
栗橋の水位は順調に上昇、妻沼に連絡したところ、滑走路まで冠水するとの予想。
全員、朝07:00に集合とする。
8.23 AM04:00
Oより緊急電話により起こされる。
R/W25に水が入ってきたとのこと。大利根へ向かう。
同 AM02:00
栗橋のピーク水位 6.25m
大利根のピークは12:00、完全冠水と予想
同 AM05:00
大利根 着
25ターニング・パッドは冠水
同 AM05:30
Oと取り敢えず、やれるところからと、ASK13のトラックとトレーラー2台を新工場へ移動
同 AM06:30
残っている3722と2123の飛行準備開始
このころから増水速度がやや増して、ややあわてる。
Yを緊急呼び出し。S君も手伝いに現れる。(感謝)
同 AM07:15
竜ヶ崎飛行場へ避難飛行のブリーフィング
滑走路 残 400m
セスナ182 N
セスナ172 AF
セスナ172 同上
JA2123 S
JA3722 Y
PA28-161 K
JA4119 N
同 AM07:30
全機 竜ヶ崎へ避難完了
MとOが迎えに来て、全員大利根へ。
同 AM08:00
トレーラー計16台の移動 M、A、I
整備車、草刈り機、その他雑物の移動 O、Y、S
同 AM09:00
M(♀) M(Ausie)を取手で拾い、大利根へ
同 AM09:00
A棟梁現る。仕事にならず、お手伝い。(感謝)
同 AM11:00
小休止 朝食
同 PM14:00
すべての撤収作業を終了
同 PM15:00
竜ヶ崎へ機体の係留
同 PM15:00
今日は早じまいしようよとM君に提案するも、却下される。
整備陣は通常業務に復帰
同 PM18:00
Y、I、O、A カヌーで飛行場へ探検
同 PM19:00
業務終了
ヤレヤレ長い1日でした。
2001年8月18日
栄えある大利根近況第一号は、中澤シャチョーによるレポートです。
今年初旬に旧建設省竜ヶ崎下流事務所に1年に1度の検査の打ち合わせに行った時のなにげに提案したこのアイディアが現実化してきました。
なんとか、できそうだとの感触から、土台の図面引きから始め、ジョイフルへログハウスを見に行き、途中、建設省から待てがあったりしましたが、わがままを聞いてくれる荒城さんを先頭に、土曜、日曜は大勢の方が率先して手伝ってくれました。荒城さんは工場に寝泊まりして作ってくれています。
想像より、かなり「メルヘンチック」なクラブハウスになりそうで、ちょっと顔が赤らんでいます。