不定期ですが大利根飛行場やJMGCのトピックスをお伝えします。
<< 「面白可笑しく」という編集方針のため、ウソ・大げさ・まぎらわしい情報が混じることがあります。その辺は差し引いてお読み下さい。特に(by スダチ)のサインがあるものに付いてはご注意下さい。 >>24日にもVer.3を掲載しました。
寺田です。
今年から年末も30日までクラブ活動日になりました。昨日は風が強く練習フライトにはなりませんでしたが、今日はまあまあの風でした。
午前中はやや出足が鈍かったもののお昼ごろからそこそこ賑わいました。飛行機もグライダーも、モーターグライダーも飛んでいました。

左>ファルケで阿見飛行場を訪問しました。飛んでいる機体はなく、静かでした。
右>事務所の裏へまわるとこんな消防車がありました。動かないようです。

ライセンスを目指さない遊び人のタヌパパは、今日も誘惑に負けて、遊びに飛んで行ってしまい、今日の給食は誰も作る人が居ませんでした。
と言うわけで、給食は明日に延期となりました。
給食係のタヌパパです。
給食の仕込みは終わりました。明日のメニューは鶏鍋です。
(by 寺田)



左>大阪から飛びに来ている高丸さんは、今日はJA2338で飛んでいました。
左>風が吹き出すまではグライダーも飛んでいました。

日没少し前、風がやや収まると、いそいそと準備する2人がいました。Webマスター高田さんと、タジ姐こと澤田美紀子さんです。
Webマスターの愛機ムーニーで、イブのナイト・クルージングだそうです。
(画像をクリックして下さい)
(by 寺田)
夕暮れの成田空港暫定滑走路です。東京の夜景は対空警戒に必死で撮ってる暇なかったっす。
(写真提供:web master)
澤田美紀子です。
24日、高田さんのMooney号クリスマスイブ・スペシャルナイトフライトに乗せていただきました
日没とほぼ同時に大利根を離陸、成田の管制圏を通過して夕暮れの富士山に向かって飛びました。
上空は夕焼け、地上は夜という、グライダーでは見ることのない景色の中、海ほたるを経由して横浜・東京へ。横浜は、日中見た景色とは違って、ランドマークタワー郡の白い光と港のオレンジ色の光が印象的でした。
東京の夜景は、いろんな光がそれぞれの高さで輝いていて、それはそれは明るくきれいでした。(ブレードランナーのような感じ・・ちょっと古い?)
さすがにクリスマスイブだけあって、たくさんの小型機が飛んでいました。
東京TCAも混んでおり「東京タワー周辺にVFR機6機飛んでます、情報提供は十分にできません、注意して飛んでください」と管制官もいささかお疲れ気味でした。
ムーニー号の巡航速度はファルケ+50KT。追い風の際、流れる景色の速さは弾丸のようでした。(ちょっと大げさ?)途中から景色に見とれてすっかり観光モードとなってしまいましたが、ハイパフォーマンスの機体ならではの、ギアアップやコンスタントペラの操作等、垣間見ることができました。いつの日か私もナイトフライトが出来るようになりたいなぁ・・と思いました。
高田さん、すばらしいフライトをどうもありがとうございました!
<オープン・カフェ 倒壊>
午後1時を少し回った頃だったと思います。
見回りの山本さんからの連絡で、
「オープン・カフェが吹き飛ばされた! 飛行場非常事態、至急応援乞う!」
オープン・カフェの被害が筆頭に来るくらいですから、機材にダメージがないと確信しましたが、まあとりあえず飛行場に向かいました。
倒壊現場でまず近況ネタの写真を撮りました。
テラスから飛ばされそうなりながらクラブハウスに入り、何気なく風速計を見ると、300度から30ktを越えていましたが、次の瞬間
45kt という表示になりました。確かに、吹きさらしの河川敷は事務所で感じたよりもはるかに風強く、係留の緩い機体はオープン・カフェに続いて飛ばされそうでした。
スタッフ総出で、ロープを締めなおし、バタついている機体カバーを外し、軽量のグライダー風上に車両をずらりと配置。ノーズなどにもロープを増やします。
ASK-13のキャノピーが、バタついたカバーで傷だらけになったのが唯一の被害でした。
昨年の「プハッチ転覆・バスに正面衝突胴体ポッキリ」が再発しなくて良かったです。
(by 寺田)
西高東低の気圧配置でした。予報どおり朝から強い北西風が吹き抜け、グライダーとモーターグライダーの練習は待機となりました。どーしても飛ばなくてはならないヒコーキは、社内飛行で飛んだようです。
風待ちに「よ〜し、今日はお鍋だ」のひと声でこの日も始まりました。前日藤沼さんが持ってきてくれた食材を利用して、「白菜と鶏肉の水炊き」です。
スープがおいしくて体が温まりました。御馳走様でした〜。

左>「居酒屋ですか?」と偶然訪問された方が、クラブハウスに入ってそうおっしゃいました。最近よく言われます。
右>「おいしかった〜〜。お代わり頂戴」
鍋で終わりかって? いえいえそんなことはありません。
日没直前に風が凪いだ頃を見計らって、しっかりグローブの練習フライトがありました。
(by 寺田)
記事と画像をさらに追加しました。
日本列島が寒波にすっぽり覆われて、本当に毎日寒い日が続いています。
米田さんたちのグループがデュオ・ディスカスを飛ばしていました。ASK-13他、Ka-6E、Ka-6CRが飛んでいました。
Ka-6はライセンサーの畠中さんの他、浅尾さんが初単座で飛びました。
お昼過ぎから徐々に風が強くなりましたが、グライダーはこの日も日没まで飛んでいました。
チャイルド・シートを装備したA150Lを操縦するオーナー・樋口さん、右席コギさん、そして後席は阿部紀子教官(通称ノリピー)。
詳細重量は極秘ですが、45キロ以下(W&Bもクリア)なのでこんなこともできます。後席に教官を乗せて実地試験もできるかもしれませんね。
(画像提供:鈴木氏)
「さぁーあ、いらっしゃい、大利根の新しいアトラクションだよ! 1回たったの0.1グローブ! フォー!!」
などとやっているわけではもちろんありません。
「クラブハウスのバリアフリー」実験だそうです。
(画像提供:鈴木氏)
左>三田さんは早くもJA2429にキャノピー前面を取り付けました。
右>ASK-18はVHF無線機を取り付け作業中です。
<JMGC忘年会>
恒例JMGC忘年会が取手のパペエテで開かれました。
年々参加者が増加傾向ですが、今年は何と55人もの参加でした。
「食事が足りないのでは?」「床が抜けるかも」などと冗談が交わされていましたが、イスが足りずにフロア中央に陣取った人たちまで現れました。
毎年コスプレする美幸さんは、今年は山本さんのオシコシ土産。
樋口さんは、愛機に念願のチャイルドシートが装備されて、こんなふうに喜びを表現。いつもの弦楽器に加えて、管楽器も登場。多才な方ですね〜。
素敵な音楽に誘われて、フロアはいつしかダンスをする人たちに占められました。
もう一組のカップルが見たい方は、こちらをクリックしてください。
この後は山本司会(ハマってました)による恒例「ジャンケン大会」が、いつにも増して多数の参加者で行われました。
「フライトチケット200点」「モーターグライダー1時間タダ券」などの賞品をゲットした方、おめでとうございます。
(by 寺田)
寒い日が続いています。
飛行場の対岸にお住まいの鈴木さん宅は、今朝は氷点下7℃まで冷え込んだそうです。寒波の影響で、クラブハウスの水道管が凍結して破損してしまいました。
この日飛びに来たクラブメンバーは、内山さん、JAL整備の青木さんでした。
<はじめてのおつかい・成田編>
寺田です。
「成田の検査官室へ行って来てくれる?」というひと声で、この日お使いに行ってきました。

左>成田のタワーのある建物が目的地
右>一度見学に入ったことがありますが、お使いに行くのは初めてでした。
目的の検査官室では、話題のチャイルド・シートを装備したセスナA150Lに耐空証明書が発行され、航空日誌に検査官のサインをもらってきました。
追加装備の後部座席には、合計45kg、2名まで搭乗可能となりました。なんと最大4人乗りの150です。

左>担当の末次検査官です。どうもありがとうございました。
右>ひとつ下の階では、どこかで見たことのある人がお仕事していました。

<整備工場より>
三田さんが、JA2429の、キャノピー前面の交換作業をしていました。
(by 寺田)
10日(土) 晴れ 視程50km RWY25
寺田です。
この日も良く晴れた寒い一日でした。午後、飛行場の南にコンバージェンス性のクラウド・ストリートが現れ、数機の単座グライダーが一日中飛んでいました。SZD55の川村さんよりレポートをいただきました。
JA2521 川村です。
5,500ft外気温度1.8℃、3時間フライト後のビーフシチューは最高でした。冷えたからだが融けてしまいました。
ちなみに、本日のL/Dは100.8 距離260km(コンバージェンスの雲の下何度も往復しただけ)フライト時間3時間20分でした。ディスカス、ヤンターと3機のフライトだったので寂しくなかったなー久々。
スダチです。
土曜日は、久々にグライダーにとってなかなかの条件となりましたね。
既に川村さんからレポートがありましたが、ヤンターも青木さんが乗って2時間以上のフライト。初めて雲の下をかっ飛ばした様で、大変感動していました。
今はまだ日が短いですが、これから春に掛けてドンドン条件が良くなって行きます。皆さん、グライダーで遊びましょう。
(この日はカメラのバッテリーアウトで画像がありません。ご容赦下さい)
(by 寺田)
11日(日) 晴れのち曇り 視程30km 風ほぼカーム RWY07

寺田です。
この日は陽が翳っていっそう寒い日でした。
Rotax Falke で氏家方面へナビに出かけましたが、男体山が降雪している様子がよく見えました。

左>セスナA150が耐空検査を翌日に控えて飛行場へ出てきました。
右>後部には話題のチャイルド・シートが取り付けられていました。子供2人までOKだそうです。

グライダー・コースで練習中の浅尾さんがこの日ソロに出ました。
おめでとうございます。
ところで、新機材の大鍋を導入してまで作りたかったビーフシチューですが、この2日間で完食しました。食べ損ねて暴れたタグパイもおらず、平和な週末となりました。(笑)
ちなみに、来週は忘年会のため給食はありません。各自昼食はご持参よろしくお願いします〜
(by 寺田)

寺田です。
寒い日が続きますが、中澤夫妻は南の島へ逃亡中で、今週は不在にしております。
今日は平日のグライダー運航はなく、訪れる会員も少ない日でした。
木村さんが久しぶりに遊びに来ました。日没直前に Rotax Falke に試乗していました。
第1工場では、グライダーを載せたトラックが到着しました。
昨日妻沼で積み込まれた青山学院のプハッチです。小修理のためワークショップに入りました。

左>事務所前は電線が邪魔でユニックの操作がしづらいのですが、そこはプロでした。
右>続いて主翼がテキパキと運び込まれました。
一方クラブハウスでは、新機材が導入されました。
ケイブンさん(おや仕事は?)は、明日の給食の下ごしらえをしていました。
給食係りのタヌパパです。(笑)
先日の日曜日の「牛すじ大根」は、大鍋で仕込んだにもかかわらず売り切れとなり、ランチにありつけない悲劇のタグパイが居ました・・・・誰だ?
そんな悲劇をなくすため、機材を更新しましたのでロールアウト?も兼ねて土曜日のランチは「ビーフシチュー」でもと思います。どうでしょうか?
使用機材 名称 : 寸胴鍋
直径 : 39サンチ
最大離陸重量: 55kg
空虚重量 : 10Kg
〜うぅ〜ん、重いナァ〜
作り始めたら、食べきるまで移動が出来ないかもしれません(笑)コンロは重量に耐えられるだろうか?
これだけあれば、20人がお代わりしても大丈夫・・かな?

明日、土曜日の給食の仕込みは完了しました。
牛肉4Kgは圧巻です〜
みなさん、明日のランチをお楽しみに〜
スダチです。
タヌパパどの、会社さぼって前日からの下拵え、ご苦労様っす。
寺田さんも、長門級39cm砲(鍋)の用意に続いて、レンジ周りの防火対策ご苦労様でした。
ビーフシチュウ大変楽しみです。今度こそお腹一杯食べさせてね。
私も要請のあった、おフランスパンを8本買って来ました。
皆さん、明日の給食は洋風ですよ。
(by 寺田)
<那覇−宮古>
11月9日
17:00気象庁発表の、翌10日午前の気象分布予報を見ると、「ざま〜みさらせ」と言いたくなる状況であった。
与論以北は雨、そしてこれから飛ぶ那覇−石垣は快晴。鹿児島−沖縄県境に見事な差が描かれていた。
ちょっと無理した甲斐があったというものだ。9日に奄美を脱出しなければ、あの係留鐶のない奄美大島空港に夜間停留せねばならなかった。
しかし、簡単には許してくれないのがお天気なのである。
10日は楽勝で宮古に向かうことが出来ると思ったら、朝06:50のレーダーには、予想外想定外の不穏な「前線の尻尾?」といえそうなエコーが映っていた。
アッチャ〜、である。
これは、那覇から宮古へのコースにほぼ並行してある。その東端は那覇の北側であった。
今なら南へグッとオフセットしたコースをとれば行けなくもない。しかしそれは甘いというものだった。
ホテルの外に出ると、微かな降雨があった。
「快晴はどこへ行った? 嘘つきが・・・・」
早速空港の気象台に行った。
「気団のシアで降雨があるんですよね」
092200UTCの局地解析は、見事にそのシアを表していた。
「まぁ、この細い降雨帯も、北東進していきますから、午後には消えるんじゃないでしょうか」
そうか〜?
「東進はしているけど、北向きには動いていないように見受けられるんですが」
案の定、シアラインは那覇を通る南北軸で見る限り、南下しているようであった。弧になったラインが北東進しても、ラインは那覇に被ってくるのであった。
那覇の離陸を、午後まで待てるか?
そのシアラインは、1030を過ぎると、那覇の南、糸満あたりにあることが南の空を見ても分かるようになった。西の慶良間には日照があり、眺望の良いターミナルのレストランからも島影が見えた。
予定する飛行コースとシアラインが浅い角度で交差している。どこかでこのシアを意図的に突っ切らねばならない。PS2のロゴのように、Sを平たくしたような段差のあるコースを考える。シアの北側を行き、どこか雲の薄そうなところで、あらぬ方向へ15分くらいか、南下してシアを突っ切り、次にシアに並行するコースに戻って、その南側を行く。それが可能か? 洋上であらぬ方向へ飛ぶというのは、気分的に非常に辛く難しそうな予感があった。

11:34、ROAH那覇を離陸。
慶良間が見えていて、やや朗らかに行けたのは束の間だった。
11:50、RJAHから234度36kmの海上で、クライムしつつ南下開始。しかし、思い切ってあらぬ方向へ飛ぶことは、尋常ならざる努力を要する。南のつもりが、雲の様相を見るにつけ、次第に目的地・宮古へのHDGになりがちであった。11:57には、はっきり雲に行く手を阻まれ、上昇した4,500ftからフルダイブを強いられて、1,200ftまで落とした。
12:03には、2,400ftまで戻したものの、その場で360度旋回を強いられた。
一群の雲から抜けたと実感したのは、GPSのトラックを見ても12:15頃だろう。20分以上もがいていたのだ。
その際中、モニターしていた沖縄APPは、海自?P-3へのアドバイスで、「8nm先、4,200ftにモーターグライダー・ゴルフ・ワン・ゼロ・ナイナーがいるぞ」と注意を促していた。
幸か不幸か、いや明らかにハッピーというべきだが、迷走する航跡はチェースされていたのだと思う。
そして6,500ftに至り、完全にオントップして、ようやく真っ直ぐ宮古に向かえることになった。
那覇−宮古はざっと2時間の洋上飛行で、ルートの真ん中辺りには、沖縄TCAの覆域でも、下地島RADARの覆域でもない空白のエリアがある。JAPAN
INNER ADIZの範囲からも外れる。誰かが見ていてくれるんだろうな、とは思うが、なにせ洋上だから、心底落ち着いているぞという実感はない。

宮古の50nmから下地の覆域に入るので、しばらく待って下地RADARを呼んだ。
宮古へ32nm、あと20数分というところで、RADARから北よりにコースを変えてほしい旨、要請があった。宮古に飛来する旅客機に進路を譲れということだ。
約20度北向きにHDGを変え、旅客機が追い越していくのをやりすごした。
快晴のROMY宮古到着は13:39、2時間5分のフライトであった。
昼は比較的ゆっくり過ごした。
ROIG石垣のスポットが問題だった。スポットを予約したのは1ヶ月近く前で、おそらくは県管が正式に受理できる前だった。「じゃぁ、もしダメになるのなら連絡下さいね」といって放っておいたのだったが、県管からは何の連絡もなかった。
そんなわけで大丈夫だろうと思っていたが、奄美大島まで来て、天候などを勘案し、石垣にも行ける見通しが立って、「前にお願いした11月10日から14日朝までの停留は大丈夫でしょうね」と連絡した。すると、満杯だというのだ。
今更、南西諸島まで来て東京に帰れるか、そんなアホな、と思った。なんでも、ガス田だの尖閣列島だの、国際的緊張に対応するためか、陸自の移動訓練か何かがあって、数機のUH-60やLM-2
が飛来するのだという。
「もう奄美まで来ていて、今更帰れませんが・・・・」
というと、よく分からないが「なんとかします」とのことだった。
で、宮古から再度の電話。
「管理事務所でRACにお願いしまして、いつもアイランダーがいるスポット7を一緒に使ってもらうよう了解を取り付けました。ぜひおいで下さい。到着されたら、会社の方とちょっとご協議していただいて・・・・」
へぇ〜、あのスポットねぇ、1機分を2機で分け合って使う。ふ〜ん、面白そう・・・・
[原文&画像提供 瀬尾氏](編集・代理アップ by 寺田)
<奄美−那覇>

11/09
RJKA奄美のターミナルで鶏飯を食べている。
この時点でも、鹿児島か宮崎に引き返す気分が4割程度あった。Go かNo Goか、重要な決断を強いられた。この日に那覇まで着かないと、週間予報と日程を勘案した場合、那覇には行けても、その先の石垣・波照間行きは難しくなる感じだった。明日は、ここら辺りは確実に雨なのだ。
降雨確率30%は、土地勘のある平野のローカルであれば、明らかに曇りではあるが、まぁしのげる感じがする。
しかし、300km、400kmのロングレンジのそれは、必ずエンルートのどこかで雨に遭遇することを表している。
遷音速という速度の領域がある。ぼくは、いつも降雨確率30%に遷音速をイメージするのだ。
遷音速は、亜音速と超音速の間にあって、機体全体は音速を超えてはいないにもかかわらず、機体のどこかの部分、アンテナとか、バルジとか、どこか突出した部分などで、その部分を流れる気流が音速を超え始める状況を言う。
音速を境に空力の特性がガラッと変わるように、ロングレンジにおける降雨確率30%では、平野と異なり、どこかで必ずや雨に遭遇するのである。
午後は午前より状況が悪いことはが約束された予報だった。那覇に行けるか?
「那覇の現況は?」 「Vですね。」
タヌパパの携帯の液晶に現れた天気の分布実況は、案外、那覇に向けて行けそうな感じだった。ペシミスティックな状況が少し改善されているように見受けられた。
「でもなぁ、30%の予報だったしな」
「30%なら、大丈夫じゃないの?」
「30%は(天気の)遷音速だからな」
「?」
那覇へのエンルート、奄美の次には、徳之島、沖永良部、与論と、割に間隔短く飛行場もある。島伝いに行けるのである。どこかでもし降り出せば、逃げ込むことも出来るだろう。アグレッシブに行ってみるか。
「どこかで雨を被るかもしれんが、これから先、そこそこ空港も連なってあるし、那覇に向かうことにするか?」

しかし、離陸してまだ奄美大島のコーストラインから離れていないにもかかわらず、これから2時間も飛ばねばならないというのに、現象的にも心象的にも暗雲がたれこめてきた。
雲が層になっている。海辺ゆえに、ブロークンというほどではないせよ、ベース500ftトップ1,500ftくらいのやつ。ベース3,000ftトップ4,500ftくらいのやつ、そしてベース6,000ft〜7,000ft。さらに天気の悪化を予兆させる高層雲。
視程は5〜10km。Vの下限的状況だ。
「島のコーストラインが視認できるほどの間合いをおいて、4,500でいくか。いざとなったら500ftに降りる。3,000〜4,500くらいのやつは、島の丘みたいな山に西風が当たって生まれている感じだな。雲の頭をかすめていく感じだが、島から間合いをとれば避けようもあるだろう」
「OK、了解」

ゆっくり上がっていって、4,500ft。
しばし飛んで、「やっぱり雲に引っかかるね。もう少し上がってみるか?」
6,000ft近くまで上がって、「やっぱりダメだねぇ」
多くの雲を、水平面でも高度的にも避けていく感じ。一生懸命考えるのだが、どう考えても決断には躊躇を伴い、実際に決めたとおり上がっても、やっぱりダメか、の繰り返し。あとでGPSのバロを見たら、一筋縄ではいかなかったことがよく分かる。
ATCが楽かといえば、離島便コミュータが離陸したり、Remoteからポジションを明確にせよと言われたり、結構忙しい。

与論がターゲットに入った。とても4,500を維持できなくなって、2,000ft。ね、なかなか根性を必要としそうな天気でしょ。かすかに水平線上に見えているのが与論島。
なんとか与論を通過すると、沖縄本島北端はすぐそこ。高度を再度上げるものの、ちっとも陸影が見えない。そればかりか、雲がやたらに増えてきて、しかも群れなす雲は塔っぽくなって、そこかしこをブロックされている感じで、往き道をほとんど遮断された。
いつものことながら、こうした最終ステージに入ると、何か重大なことが起きる。
「しゃぁねぇ、本島北端は、海峡っぽい風の通り道なんだぜ、きっと。高度を落とすことしか方法は残されていないから、フルダイブするぜ。2,000ftを切ったら、高度計を読んでくれ。1,000ftでも海面が見えなかったら、Uターンして与論に向かう」
ボッボッ、ボッボッ、と時にインクラウドして、状況からの脱出を図る。
「は〜い、2,200・・・・2,000・・・・1,800・・・・、OK、海面インサイト」
「なんだよ、こんな高度じゃぁ、機体中、真っ白に潮を被っちゃうなぁ。でも、これでなんとか那覇には行けるだろう」
Northern Training Areaや、辺野古崎の普天間の移転先のキャンプ・シュワブ(Camp
Schwab)の飛行場建設予定地に近いR-195、R-177をかすめて、沖縄本島東岸を海岸線に沿って南下した。
当然のことながら嘉手納のOkinawa TCA(App Ctl South)を呼んだ。しかし、ほとんど相手にされなかった。コース上で影響しそうな普天間にはトラフィックはなく、ひたすら那覇に出入りする旅客機の相手に忙しかったからだろう。
中城(なかぐすく)湾の奥深く、与那原から西に変針し、那覇TWR。5〜4nmのところでTWRの管制官が一息つくのを待ってホールド。ようやくコンタクトでき、首里城、那覇市街をかすめて那覇港。そこでまた再びホールド。到着機のセパレーションが一時的に空いた状況が生まれ、Entering
base RWY18。例によって、滑走路上2mまで100ktを維持。接地後は最初の鋭角の誘導路でOFFし、海側の駐機場に向かった。
正直に言って、だいぶ疲れた。持てる力量の端から端まで使い切った感じがする。いつものようにエアドルフィンにハンドリングをお願いし、給油後ターミナルに向かった。

「晩飯は、那覇のお上りさん、といこう。疲れたし、自分らに対するご褒美だ。肉食うぞ!」
夜は米軍占領下の「Aサインバー」を彷彿とさせる、沖縄観光ガイド本でも名高いステーキ屋、「ジャッキーズ」に行った。
ビッグな合衆国仕様のサーロイン・ステーキ、スープ、ご飯付きで1,900円(20年前は価格も合衆国仕様だったが)。ビールはもちろんオリオン。
タヌパパと2人ともカメラを取り出し、「大利根近況用の写真を撮っておかなくちゃねぇ」
[原文&画像提供 瀬尾氏](編集・代理アップ by 寺田)
寺田です。
平林特派員より、「幻の指定養成0(ゼロ)期生」同窓会のレポートをいただきました。
ご存じない方もいると思いますので、簡単に説明します。以前大利根で、動力滑空機の実地試験指定養成制度を導入しようと、テストケースが行われたことがあります。諸事情により残念ながら定着していませんが、コースに参加された受験生は、今は全員ライセンシーとなり、固い絆で結ばれているようです。
平林です。
「幻の指定養成0期生」の同窓会が都内某所で開かれました。○本教官も参加する予定だったのですが、ドタキャンとなりました。多分、飲み過ごして次の日の勤務に差し支えることを恐れたドン中澤が足止めしたのだろう、と噂してました。
飛ぶことよりもブラニクの修理に頭を悩ませている者、グローブは練習生が多くて割り込めないのでセスナで曲芸飛行の習得に励んでいる者、教育証明の取得を目指している者、子供の教育費のためにしばし飛ぶことを断念している者、身体検査を取らずに有資格者に同乗してもらって大島に飛んだりクルージングに参加していいとこ取りをしている者、結婚を控えて挙式費用の貯蓄に励んでいる者、等々。それぞれの7名でした。
他に、仮称「0期生、北海道北見飛行場合宿」計画(これも幻でしょうね)や、△曽根君の結婚などの大利根飛行場近況など、話題はつきませんでした。

左>起こされた◇沼さんの眠そうな目
右>二次会の店
次回の同窓会は☆山氏の結婚式か、との雰囲気になったのですが、「俺たちを結婚式に呼んでくれるんだろうな」との声に☆山氏は返事しませんでした。
それで◇沼教官誕生祝いを羽田飛行場に離着陸する飛行機が見える場所で開こう、ということになりました。ところがこの話しをしている二次会の席では本人は寝てました。これも「幻」になってしまわないように、ドン、○本教官、ふんどしを締め直して下さいヨ。
[原文&画像提供 平林氏](編集・代理アップ by 寺田)
<屋久-トカラ-奄美>

11/08。
午前中は屋久島ですることがある。午後は、沖縄方面へは行けそうもない天候で、予定した日程の2日ビハインドとなった。これは、もう朝に決定した。
11/12、11/13の西表の節祭に間に合えばいい。
まず、空港に行って、隣の観光案内所で、この晩泊まる部屋の確保。
「あの旅館さぁ、メシ不味いよ。ましな民宿ないの?」
「そうねぇ、この民宿は評判がいいわ」
よしよし。次は向かいのスタンド。
「今日は、1回2回飛ぶけど、屋久島に戻ってくるから、またハイオクを入れてほしいんだ」
そして気象台。
フライトはクリオネ・ミッション。朝の宮之浦岳、海を渡って、火口に大きな亀裂のある口之永良部、今度は逆方向に海を渡って種子島南端の門倉岬などに行き、撮影した。門倉岬は鉄砲伝来の地である。
この日泊まった民宿は、観光案内所の自信ある紹介により、築数年と綺麗で、食事には知性も品もあるところだった。「なかなかイケルじゃん」とタヌパパと顔を見合わせた。ついでに洗濯も出来てグッドであった。

11/09。
暗いうちに目を覚ますと朝焼けだ。またまたWXがアウトか。
TVの予報「雲と降水の予想(NHK9日12時)」は、ルート上、西の大陸から降雨を伴う雲が押し寄せてくるのを予報していた。さらに週間予報は、ほぼ全編曇りベース。
「午前中に行き着ければ、とりあえず奄美大島までは行けるのだろうか? でも、気色悪いフライトになるだろうなぁ」
屋久島空港にはCABはいなくても気象台はある。気色悪いかどうかを確認する。RJKA奄美大島はVであった。雲の流れとコースを勘案すると、奄美がVFRのうちは、エンルートもVのはずである。また、行きたい火山もある。この前友人の火山学者が海上から噴気を観察できたというトカラ列島の臥蛇島、最近激しく吹いているという諏訪之瀬島、そしてその最南西端の無人島・横当島だ。臥蛇や横当は、20数回(うち3回、G109Bで諏訪瀬に飛来)のトカラ通いをした頃(15年前)以来だ。
ここらが撮りたいから、結局、石垣や波照間を目指しているのだ。東京から見れば、トカラ列島横当島まで来れば、全行程の2/3以上(3/4には満たないかもしれないが)を来ていることになるはずだ。
リスク高いが「行ってみようぜ」とタヌパパに声をかけた。
上層に割に濃い雲が張り付いていて、美味しい絵にはならないはずだが、屋久−奄美は直行せず、西に、トカラに、迂回していく。

ある程度覚悟はしていたが、それにしてもヒドイ天気だった。
悔しいのは、光無く苦労して飛んでいき、苦労して撮った絵ほど、売れる絵にはならない、という事実。基本的に光りあふれ明るくなければ商品にならないのだ。
どこか内心、「来れるものなら来てみろ、撮れるものなら撮ってみろ」と胸を張りたいが、明らかに自己満足の表れだ。
行った証拠に、横当島の激しい火口の1コマを添付しよう。
奄美のターミナルでは名物「鶏飯」を食べた。「ケイハンって何?」というタヌパパに、レストランのショーケースを指さしたら、「こんな量じゃぁ食べれないよ」という。奄美風鶏スープメシである。丼飯に細切りの鶏、卵、野菜やキノコなど、たくさんの具をのせ、熱いスープをかけて食す。ショーケースには、盛りつけの使用前使用後が一緒に見せてあるからだった。「大丈夫、具はこの半分」
いつものことながらテーブルに座ると、気象の確認、スポットの予約、燃料の手配、その他もろもろ作業がある。遠出をしない人には想像できないほど何かと忙しい。オーダーしたものが運ばれてきても、作業はなかなか終わらない。
「美味いじゃん」
「だろ。飛んできた甲斐があるってもんだぜ」
[原文&画像提供 瀬尾氏](編集・代理アップ by 寺田)

<嵐の翌日>
翌11/07は、快晴であった。
雲仙普賢岳「平成新山」の今の姿を撮りたくてRJFU長崎ステイが必要だったのだ。朝の尖った光で、あの溶岩ドームをメリハリつけて撮りたいのだ。
山頂部は、それは見事なコントラストだったが、下層は黄砂の影響でうんざりする視程の悪さだった。それはそれで仕方がない。
(画像:普賢岳「平成新山」)

その後、有明海を渡り、熊本市郊外の小さな火山の金峰山、そして阿蘇、久住と巡り、今回もう一つ欠かせなかった山岳撮影の場所、由布岳・鶴見岳に向かった。
別府温泉の先にある火山だ。特に鶴見岳は、あの温泉の湯量の豊富なこととも深い関係がある。
(画像:由布岳)
そして国東半島の真ん中にある両子岳。国東は視程がボロボロであった。RJFO大分に近いこともあり、RJFOではDASH8かなんか(シミュレーターのない機種の訓練か)がIFRの進入を繰り返しているのか、タッチ&ゴーをしているのか、忙しそうであったし、なにせ黄砂ひどく見えないので、山頂をヒットすることなく諦め、急遽反転してRJFM宮崎に向かった。
この日、安全確実に屋久島まで行きたかったこともある。日没間際になって、あの高い山の北東の裾野にある滑走路には降りたくなかった。RJFCは地形的に、山に当たる北西風が収束して風が強まる場所に位置している。風が弱まるまで旋回を続け、時間つぶしをするだけのマージンがほしい。たとえ時間つぶしをしても、日没を越えてほしくないのだ。
RJFMでは給油と食事をそそくさと済ませて離陸。昼飯を食っただけというのに、この季節はぐんぐん午後の色合いを深めてくれて、気ぜわしい。
まず、管制圏を出るか出ないかの位置にある青島を撮り、桜島に寄り、鹿屋レーダーのアドバイザリーを受けて一路屋久島へ。丁度鹿屋からは海自定期便のYS-11が上がってくるところで、YSはこちらのコースと直交するため、しばし高度を抑えられていた。
レーダーのあるところは全部お世話になっていく、というのが09AWの主義である。航行援助施設使用料なんて、その第三者的見張りの確実さからすれば、びっくりするほど安価だし。

わりと高度高く行き、そのまま宮之浦岳山頂へ。
午後深まった日没を控えた時刻の宮之浦の西側は、魔界を連想させる興奮の風景である。何かが出てきても不思議ではないような風景。
山岳撮影を楽しんだ。
(画像:宮之浦岳)
屋久島には航空局の施設も人員もいない。鹿児島空港のどこかで対空通信(RAG)をしているのだろう。RJFCの呼び出しは「屋久島Remote」
屋久島RAGは、心配した風について、たしか「30018G24/14KT」程度のことを伝えてくれた。RWY32であるから、300度の風、ガスト(Max)24ktは、かろうじて許せる範囲か。気は抜けないが。滑走路を随分入り込んだところまで90kt+を維持して高度2m、そこからおもむろに減速、フレア、タッチダウン。こうした強風のときは、アプローチ速度など、額面通り、教科書通りにはやらず、全部滑走路内で処理することにしている。それでもエプロンの入口を行きすぎることはない。
CABは実際に着陸を見ている訳ではないから、ダウンタイム(着陸時刻)と、滑走路を外れたことを通報せよ、と言ってくる。
屋久島空港管理事務所は、とても可愛い建物であった。たぶん日本の空港の県管の中で最小だろう。大利根のクラブハウス並だ。
そこには、とても話のしやすそうな明るい感じの女性がいて、ちょっとお話しすると、「私、関宿には行ったことがあるわ。グライダーにも乗せてもらったの」ということだった。

左>屋久島空港の管理事務所
右>離島の給油風景
屋久島にはAvGasはない。では、なぜ経由地にしたのかといえば、ハイオクくらいあるだろうと思ったからだ。
手順その1。屋久島空港の住所を調べる。
その2。インターネット地図(山旅くらぶ)で空港の場所を確認する
手順その3。http://phonebook.yahoo.co.jp/で、屋久島のガソリンスタンドを探す。空港の住所と同じ「字」のところ。なければ地図を参照して隣の「字」にあるスタンド。
その4。見つけた空港最寄りのスタンドに電話する。
「空港まで携行缶でハイオクを2缶か3缶か、運んでくれます? で、リッターいくら?」
「空港事務所の許可も、ウチの方でとっときます。で、リッター180円ですが」
ゲゲ、高っけ〜。でも、昨今の地方空港のAvGas価格に比べれば、ここは離島だし、配達料込みだし、許してやろうと思う。
「じゃぁ、空港に着陸したらまた電話するから、来てね」
花巻なんざ、陸続きのくせに、たしか270?280?円だぜ。秋田でも250円。「そんな金、ねぇぜ」といったら、「価格改定のサービスに、クレジットカードも使えるようにしました」だと。これにAvGasの航空機燃料税26円を別納だ。くらくらしちゃう。
このヤフー電話帳で探した屋久島のスタンドが、県管の許可もとっておくってぇのは、よほどのご近所さん付き合いがあるのだろうと思ったのであったが、実見すれば、なんと驚いたことに、空港ターミナルの道を挟んだ真向かいにあったのである。
そして、エプロンのスポットまで灯油配達用の軽四で入ってきて(こんなん初めて)、しっかり3缶を補給してくれたのだっだ。とても離島らしい。
タクシーで安房の集落に向かった。安房は「あわ」ではなく、「あんぼう」と読む。
インターネットで予約した旅館の玄関に入ると、「予約はいただいていません」という。
そんなバカな。パソコンを開いて「予約確認メール」を見せると、おばさん慌て出した。部屋はあんのか? 「Two
Singleだぜ」
娘とおぼしき女性が出てきて「お母さん、FAX確認した?」
「あら、FAX用紙が切れているわ」
ボクは離島のプロを自認しているからいうが、ま、こんなことで驚いたり腹立てていたら、離島へのフライトなんぞ、しないほうがいい。都会的確実性は、海の向こうに置いてきたと思うべきなのだ。
部屋は確保できたからそれはいいが、メシの不味さも超一級だった。ビールと一緒に流し込んだが、明日の天気はどうかいな。ここには連泊したくないよなぁ。
[原文&画像提供 瀬尾氏](編集・代理アップ by 寺田)
瀬尾さんから、沖縄ツアーの続編をいただきました。
九州入りしたとたん、長崎空港でたいへんな目に遭っています。

<長崎の嵐>
朝、目を覚ました旅館の外が騒々しい。川音が尋常ではない。洪水が始まっている気配だ。
そこでパソコンを見た。赤い雨域が空港に接近している。赤色(50〜80mm)なんて凄いのは、いつぞやの台風以来ではないか。
TVをつけた。ちっとはましな現況は見られないか。
見たかった天気情報は、衛星放送だったせいか、あまりの大雨で「信号が受信できません」としか映らなかった。九州の雨粒は、その気になったときは、東京の3倍くらいのサイズになるんじゃなかろうか。

左>大雨で受信不能になったテレビ
右>嵐の中を、とにもかくにも空港へ。
情報官から電話があったのは、その時だった。
「そっちが外に出られないんじゃぁ、こっちも機体には近寄れないわけで、覚悟はしますよ。自分では納得いくように係留はしたつもりですが(そう言いつつヤバッと思ったが)、機体が転倒したら転倒したで、どうしようもありませんものね。小型機航空に無知なブンヤの餌食にはなりたくないから、せめて新聞記事にはしてほしくないけど・・・・現状じゃぁ、どうすることも出来まいですもんね。ま、これから空港に向かいますから」
ヤバッと思ったのは、左翼、脚、尾輪は自分で縛ったものの、右翼は大利根から一緒に飛んできて、ここで乗員交替をしたタジにまかせて、何の確認もしなかったことだ。でぇ〜じょうぶけ〜?
朝飯も食わず、タヌパパと長崎道を走って空港に向かった。
情報官室に着いたものの、そこにある監視TVのモニターは、グラグラ揺れる画像を映していた。長い望遠レンズをつけた監視カメラが、あの照明灯の上にあるのだ。照明灯が未だ強い風でグラグラ揺れている。機体は、それでも正常な姿で、スポットの四角い枠からはみだしていなかった。それでとりあえずホッとした。
点検に行こうにも、なにせ局舎から遠いスポットゆえ、歩いていくことはできず、直近のクラッシュ・ゲートから入れてもらうことにし、そのための書類を書き、またゲート最寄りの消防では、南京錠の鍵をもらう書類をかき、そうして中に入ったのだ。

結論から言えば、09AWは無事だった。タジを一瞬疑って申し訳ない気がしたが、正直に言うと、本当に機体の破損と新聞記事ネタを覚悟したのだった。
その証拠をあげておこう。
RJFUで悪名高い「to CAB FLT OPS WX 900m→」という案内板だ。あの重そうなコンクリート・ブロックが土台になっているが、しっかり倒れていたのだった。本当に50kt吹いたようであった。
[原文&画像提供 瀬尾氏](編集・代理アップ by 寺田)

<セスナ150のチャイルド・シート>
中澤です。
平和な休みかなと思っていたら、変な宅急便がアメリカから届きました。何だ?と思って開けてみると、半年前に注文した、3612の荷物室に取り付ける子供用のシートでした。
12月中ごろ、本邦初公開の、3人乗りセスナ150がお目見えします。
[原文&画像提供 中澤氏](編集・代理アップ by 寺田)
中澤です。
天気も穏やかで、特別なことがあったと言う日ではありませんでした。
ウインド・シールドが見る間にバリバリになってしまったG109B JA2429は、日大のASK21,23が飛行場へ出て行ったのと交代で工場へ搬入されました。
Grob109タイプの風防の付け方は、胴体の風防枠にアクリル板を曲げた風防を形に合わせて切り、接着剤で接着します。この接着剤が結構くせもので、何でも良いわけではありません。(グライダーのように風防枠が胴体と別になっている機体は関係ないのですが)風防の伸び縮と胴体の伸び縮がちがい、アクリルに内部応力が貯まってしまいます。
各社、それぞれにいろいろな接着剤を使っています。どうやら、Grobで使用しているタイプが良さそうと言う結論に達しました。今週から風防交換の作業にかかります。

さて、24日に耐空検査が終了したハスキーは、エンジンの慣らし運転と、グライダー・トウイング・パイロットのブラッシュ・アップ、ハスキーの乗ったことのない人への経験、今後の曳航パイロット候補者への経験と盛りだくさんのフライトが続きました。染中さん、お疲れ様でした。
そんな中、チェック・アウトした由香子さんが、日大のASK21とASK23を曳いて、耐空検査の飛行を行っていました。

半分、恒例になりつつある、Today's Menu !!
今日は、白菜、手羽、豚肉、大根、人参、その他なんでも入っているおみそ仕立ての熱々鍋でした。
来週は?と頭を悩ませている美幸ちゃんと啓文さんでした。 (ごちそうさま)
(愛ちゃんはオープン・カフェの半分の側面を透明のビニール・シートで囲い、そのなかで火を炊き、自在鍵につるされたお鍋が合ったらいいのではと考えています。)

左>クラブ・ハウスの外はクリスマス・モードになっています。
右>三田はあやしい「FABOT」の脚の修理をしていました。
[原文&画像提供 中澤氏](編集・代理アップ by 寺田)

暖かく晴れた日が続きます。
平日のお客さんは少ないのですが、この日も整備の青木さんが仕事前に飛びに来ました。

毎週、熱心に練習に来られていましたが、この日ファースト・ソロに出ました。
おめでとうございます。
[画像提供 金子氏](編集・代理アップ by 寺田)

<松永さん入院中>
JMGCで計器やエンジンを専門に仕事している松永ですが、現在阿見の大学病院にて入院・加療中です。
病気ではなく、肩のできものを切開するだけです。
11月末退院の予定ですので、大利根グライダー無線にご用の方は、今しばらくお待ち下さい。
(画像:いい部屋ですね〜)
(by 寺田)
今日は滑空機上級の実地試験がありました。
先月は天候不順で延期になりましたが、この日は穏やかに晴れました。

左>飛行前点検
右>柳田さんのフライト1回目の着陸

合格の判定をいただきました。
おめでとうございます!

飛行機の世界では教官の柳田さんも、グライダーは勝手が違ったようです。
次は教証を目指してくださいね〜
(by 寺田)
「おじさんだってがんばるんだから」
中澤です。
月曜日は定休日ですが、この日は実地試験と富士重の飛行があり、通称「飛行場組」は「出」でした。
それ以外にも、20日にハンド・ランチの大会を見に行った三田が替わりに出てきており、24日にハスキーの耐空検査を控える秋永も出ていました。
さて、話は前の日、20日になりますが、大阪のある大学から「今日、グライダーをトラックで発送したから」との電話を受けました。ウーーム困った、若いのが居ないなーと思いましたが、もう仕方がありません。21日当日は天気も良く、実地試験の受験生、スタッフは朝から準備に余念がありません。こんな人達にグライダーを降ろすから手伝ってなんて言ったら殺される!!!!
結局、三田、秋永、松永と私のおじさん4人でグライダーをトラックから降ろしました。肩で息をしながら作業をしたので、写真がありません。

実地試験の最中は、山本が立ち会いのため、急遽、私が富士重のパイロットになりました。
(飛び方の説明をする担当者の目が若干不安そうと感じたのは、気のせいだったのでしょうか。)

実地試験も無事終了した夕方、試験官も帰り、一息つく間もなくハスキーを飛行場へ出しました。
またもや、若いのがいません。
おじさんになりかけの山本と、おじさんの三田、秋永、そろそろ、おじさんも薹の立ってきた私でハスキーを台車に乗せ、飛行場へ運搬しました。
一日中、おじさんだけでがんばった一日でした。
[原文&画像提供 中澤氏](by 寺田)

中澤です。
第2工場では、ハスキーがだんだん形になってきました。
作業は急ピッチで進んでいます。

左>大曽根は172のエレベーターの塗装をしています。
右>アローJA3786の無線検査が行われました。

左>IS28にプロペラが付きました
右>ASK18に飛行機曳航用レリーズが付きました。

上左右>突然出現した「いらっしゃいませ」と「大売り出し」ののぼり
[原文・画像提供 中澤氏](編集・代理アップ by 寺田)
瀬尾さんから、先日沖縄石垣島を往復したツアーの記録をいただきました。

11月4日の08:13に大利根を出発し、11月13日 の14:37に帰着した、10日間、48時間57分の、これが航跡。
どうやら大利根から波照間への中間点は、宮崎以南にあるらしい。改めて驚いたし、無事に行ってこれて本当に良かったと思う。
フライトの目的は、作りたい本のための空撮。メインは火山の撮影だが、教科書向けの歴史的な場所や地学的な場所もある。でもそれは、表向きの理由のような気がする。
単純に、珊瑚礁の海の上で愛機を撮って見たかっただけかもしれない。
何年か前に、西表や日本最西端の与那国島へ飛んでいったことがある。同じ季節だった。
なぜ11月か?
1月2月は、沖縄を含む東シナ海は、日本海的な様相になる。
3月は、台湾坊主が怖い。すぐ隣で発生し、台風同様の暴風雨に襲われたら逃げようがない。
4月は、たぶん大丈夫かもしれないが、好天が長続きしないし、台湾坊主も無視できないし、梅雨入りもある。
5月になれば、こちらは確実に梅雨で、下旬に明けても、奄美あたりに北上した前線が居座って行く手を阻む。
6月は、沖縄は夏真っ盛りとなっても、本土は雨だ。
7月8月9月10月は、台風を用心しなくてはならない。格納庫の確保が可能ならいいのだが、那覇にしかないし、これには相当なツテを要する。
というわけで、11月がねらい目だと思っている。
10月下旬になると、竹富や西表、小浜島などで先島諸島ならではのお祭りがある。小浜島のは一昨年見に行ったが、西表島の節祭については、大ドジをふんだことがある。航空券を買ってはるばる出かけたが、全く平常だったのだ。「今月じゃないよ」と宿の人に言われてしまい、愕然としたのだった。沖縄のお祭りスケジュールは、ほぼすべてが陰暦で行われるため、新暦との換算を間違えると、恥ずかしくも、こうしたとんでもない事態が起きることがある。
今年は11月12、13日が西表の節祭だった。念のため、役場に電話もして確かめた。
西表の最寄り空港は波照間RORHか石垣ROIGである。いずれにせよ、万全の気象条件でも2日がかりの行程だ。天候予備日などマージンをとると、5日くらい見込んでおく必要がある。復路も同様だから、最低10日+お祭り見学の2日を想定した。で、出発は11月3日とした。余裕ある日程を組み、経路に近いところで、いろいろ写真を撮っていこうと計画したのだ。
でも、出だしから天候は悪かった。誰の陰謀だろうか。
(原文&画像提供:瀬尾氏 編集&代理アップ by 寺田)
現在ドイツに在住されているクラブメンバーの飯島さんから、こんなレポートが送られてきました。

飯島です。こんばんわ。
土曜日に,Hanoverで開催された「Deutscher Segelfliegertag 2005」に行って来ました。
http://www.daec.de/se/stag.htm
今回は,グライダーはポーランドの新しい機体「Diana2」(http://www.dianasegelflugzeuge.com/)とBraunschweig
AkafliegのSB14(ご存知かもしれませんがSBは,Segelflugzeug Braunschweigの略で
Braunschweig Akafliegが開発した14番目のグライダー)等と展示機は少なく,計器やソフトウエアが中心の展示会でした。
Aero2005でお会いした方たち(Schempp-HirthのBiggo Berger氏,Tilo Holighaus氏,DGのVolker
Halbe氏,International sailplaneのHannes氏,SDIのFranz氏等)と再会し,楽しく過ごす事が出来ました。
Biggo氏に今回は,あなたの会社の展示機が見れなくて残念ですと言ったら,今日は私自身をプレゼンテーションしているから良いんだとおっしゃっていました。皆が私を知ってるからだそうで。大御所はおっしゃる事が違いますね。
Hannes氏は私に会うなり「そうですか〜」と連発して,相変わらずジョークを飛ばしていました。いろんな方に私を紹介して頂き,大変有り難かったです。
DGのVolker氏やHannes氏も「愛一郎は元気か,最近はどうしてる?」と聞かれたので,「いつも,アクティブにやっています!」とお答えしておきました。
Tilo さんには,娘さんが生まれたそうです。質問があったらメールででも何でも聞いてくれと親切でした。
SDIのFranz氏のところは,新しいVario systemを開発したそうです。Aero2005では,自分の開発した計器は由香子にはあまり興味を持ってもらえなかったので残念だったとおっしゃっておりました。

左>Diana2 のコクピット・パネル
右>Biggo氏
グライダーに関するプレゼンテーションも3部屋でパラレルに行われていましたが,特にチームで飛ぶときのCrew Resource Managementに関する話「Fliegen im Team bei Meisterschaften - Mentale Segelflugzeug Training -」 が面白かったです。
といってもドイツ語なので詳細は理解出来ませんでしたが,3人の方が壇上に立って,自分達が飛んだ軌跡をスライドで見せながら,ヒューマンファクタ上の問題,3人でどうやって意思決定したか等の体験談を語っていました。

自分は,展示を見たり,プレゼンを聞きに行ったり,知人とお話したりで今回はあまりたくさん写真を取れませんでした。
人がいなくなったところを見計らってDiana2の全景写真を撮ろうと思っていましたが,プレゼンを聞きにいっているうちに片付けられてしまいました。Diana2はサイドスティックを採用していましたが,他にもサイドスティックを使用したグライダーってあるのでしょうか? Diana2のコックピットに座りたいと思っても,いつも人だかりでした。残念です。
とはいえ,数枚写真をお送りさせて頂きます。お楽しみ頂ければ幸いです。
由香さんもWorld wideですね!
飯島朋子
(原文&画像提供:飯島氏 編集代理アップ by 寺田)
寺田です。
久々に良く晴れた週末になりました。お天気に誘われて朝から大勢のクラブメンバーが飛びに来ました。
フライトはクラブのG109Bが2機フル稼働し、オーナー機のG109Bとスーパーディモナも飛んでいました。飛行機はセスナ172とA150が、アローは朝早くお出かけしていました。
この日はパラシュート・ジャンプが行われていて、その向こうのグラスではラジコンを飛ばしているグループがおり、そのまた向こうではグライダー運航も行われていて、3、4機が同時に滞空している場面もありました。
おかげでトラフィックはたいへんな混雑でしたが、フライトサービスの山本さんがテキパキとさばいていました。
イアンさんというニュージーランド在住のイギリス人が遊びに来てくれました。仕事で半年東京に滞在するので、フライトするところを探していたようです。さっそく172と150を乗り換えて飛んでもらいました。定番の成田クロコンを体験していただきましたが、喜んでもらえたようです。

上>この画像はイアンさんが送ってくれました。ベースであるニュージーランドの
Wellington という空港で撮影された16アプローチです。右上に離陸上昇してゆくエアライン。そして水面上に2本のウェーク・タービュランスの航跡がくっきりと残っています。こわいですね〜

午後、瀬尾さんと鈴木さんの09AWが沖縄ツアーから帰着しました。今日は高松から寄り道しながらノンストップ5時間のフライトだったそうです。
10日間というロングツアー、お疲れ様でした。
画像>お土産を手にするのはタヌパパ。でも沖縄ではなく、なぜか高松。
沖縄みやげはどーした!?<影の声(笑)
(by 寺田)
中澤です。
13日は朝からフル稼働でした。しかも、グライダーとラジコンとパラシュートが重なってしまい、地上では山本が一日中、フライト・サービスに張り付きでした。
モーターの島、パラシュートの島、ラジコンの島、グライダーの島といくつもの島が出現しました。みんな一様に楽しそうな顔をしていました。

ウインパルのDG505MBの訓練が始まりました。
この日は2名が訓練を受けました。静穏な風の中、重そうに離陸していました。(飛ばない豚はただの豚だ
By ポルコ・ロッソ)

かわいい入会者がいました。村上千景さんと言います。 皆さんよろしく!!
降りてから、教官がやさしくて良かったと言っていました。どうしてもっと早くからやらなかったんだろうと言っていました。良かったね高田さん
画像>ツーショットなので大きくしてみました

クラブハウスから見た風景
グライダー、パラシュート、遠くにはラジコンのグループが見えます。

染中さんがパラジャン・パイロットにデビュー
パラジャン・パイロットにはこれからきびしくなる季節です。先日、仲間に入ってくれた染中さんは自身がパラシュート・ジャンパーでもあり、ジャンピング・パイロットもやってくれるというので、早速デビューとなりました。
この日は山本、垣内、染中の3人が担当してくれました。

高橋淳さんが見えられました。
昨日は宇都宮に居た淳さんが、今日は富士川からファルケを空輸してくれました。

石垣島まで行って来た瀬尾さんとタヌパパを囲むみんな。その後ろには久しぶりに曳航に駆り出されたウインパル・ファルケが駄々をこねています。三田が首を傾げながらエンジンを点検しています。
(原文&画像提供:中澤氏 編集&代理アップ by 寺田)

中澤です。
月曜は定休日ですが、ときどき誰かが仕事をしています。
いつもは美幸ちゃんの席ですが、この人はだれでしょう。

瀬尾さんは先週沖縄ツアーへ出発しました。
2週間の長丁場なので、右席は3人で交替です。これは大利根スタートの朝。第1レグは澤田美紀子さん。
現在JA09AWは、天候待ちで第2レグ担当の鈴木さんと共に屋久島へ留まっているようです。
(by 寺田)
記事と画像をさらに追加しました。
<秋のクルージング・ツアー 後半戦>
中澤です。
もともと、この期間に毎年恒例の合宿を企画しようとしていました。年々歳々、多数の機数を受け入れられる飛行場が少なくなっており、候補地としては、能登、福島飯坂、岡南、が挙げられました。最後には「名古屋」が候補になりましたが、なんだかスタッフがいろいろなことに追いまくられ、準備が整いませんでした。
そこで、この期間は通常の大利根でのフライトと同時に3,4日と5,6日の2回、1泊でどこかへ足を延ばそうと言うことになりました。
3日出発の組は、セスナ172 1機とG109Bが1機、6名の満席でしたが、そこはこじんまりと、気象と相談の上、目的地を花巻にして出かけました。結局、秋田空港まで足を延ばすことが出来ました。

5日からの出発は、セスナ2機、G109B1機の予定でした。私も前夜に山本隊長からパイロットしてくださいと言われ、1泊の予定で家を出ました。
飛行場へ着くと、なにやら山本が難しい顔をしています。というのは、予定外のうれしい参加機があり、人数繰りがかえってうまく行かないとのこと。急遽、私は選に漏れて、大利根勤務となりました。
(画像)平林さんは乱入のWebマスターの愛機ムーニーへ同乗することに

左>オーナー機が2機乱入しました。(画像提供:高田氏)
右>やはりヒコーキは飛んでいる姿が美しい(画像提供:高田氏)

左>松本離陸後、3788に背後からあっさり追い越されました。(画像提供:垣内氏)
ルートは松本経由で富山→新潟宿泊の予定でした。一緒に行っていないので、詳しい報告はだれか書いて下さい。6日の天候が心配でしたが、全機無事に戻ってきました。俊足のアローとムーニーの参加で、セスナやモーターの偵察で、なかなか面白いツアーだったようです。

左>ナイトを前にワクワクする、平林さん、若林さん、林さん。新潟空港で。(画像提供:園山氏)
右>空港ロビーでくつろぐメンバー。この後、タクシーで市内に向かうが、運転手さんに東京便のない新潟で東京から来たと言って不信がられ、自家用機に乗って来たと説明したが、その姿格好を見て、完全に無視されてしまう。(画像提供:園山氏)

上の画像>ツアー参加者の夜の部。左から、若林アロー・オーナー、何もしない添乗員、嬉しそうな垣内さん。

選に漏れた私は、実はXX歳の誕生日でした。行きつけの「パペエテ」と言うお店のライブでボサノバの
Happy Birthday を頂戴しました。
(原文:中澤氏)(by 寺田)
記事と画像を追加しました。
<秋のクルージング・ツアー 前半戦>
規模を縮小したミニ合宿です。前半戦は飛行機1機とモーターグライダー1機、参加人数6人という小規模少人数でした。
当初予定されていた松本方面は天候不順が予想されるため、福島・花巻方面出たとこ勝負に変更されました。

左>参加者の出発前のブリーフィング
右>離陸準備中のモーターグライダー組
北へ向かうと天気がどんどん良くなってくるためどんどん北上し、秋田まで行ってしまったそうです。
このツアー参加グループは秋田でステイし、次の日無事に帰ってきました。

左>紅葉の磐梯山付近(画像提供:白藤氏)
右>庄内空港。黄色のラインが積雪地帯であることを物語っています。(画像提供:白藤氏)

左>4日の朝、霧の晴れ待ち(画像提供:白藤氏)
右>大利根の夕日(画像提供:白藤氏)

最近の愛ちゃんは、パラジャン・パイロットをするにも、こんなふうになっています。
中澤です。
大利根でも、全機フル稼働で、モーターやグライダーが1日中飛んでいました。
そんな中、私は右ドアーを取り外したセスナ172で観音崎まで飛んで来ました。ですから、こんな格好をしているんです。
(by 寺田)

高田です。
先週だったか、めずらしく平日に休みを取って練習に来ました。早速、山本からは、「平日まで来るようになったら、スダチやタヌパパといっしょになっちゃうよ」と言われていました。

このような経緯から、JMGCはRF4D JA2110とRF5 JA2127で発足したのです。(その写真を取ろうと、今と同じように、エアロンカの後席から半身を乗り出して撮影していたのが、若き「瀬尾さん」でした。今は多少、機数が増えたぐらいですが、やっていることはさほど変わりませんネーーーー。)
この機体は、F-4ファントムUの写真偵察型、RF-4Cです。
ちなみにF-4CとF-4E ファントム兄弟の大きな差異は、機首の長さです。生まれが海軍機で、空母搭載のために全長を短くしたかったんですね。空軍機となると、機首にガンを搭載したいものだから、長くなったわけです。
スダチです。
一発ネタで使った写真から色々と物議をかもしてしまい。関係者の皆様にはご迷惑をお掛けしました。
m(_ _)m
また、瀬尾ししょーには、非常に詳細な解説を書いていただき、まことにありがとうございます。
これに懲りず「面白可笑しく」という編集方針を貫き、JMGCの情報を発信していきたいと考えておりますので、皆様、今後ともよろしくお付き合いお願いいたします。
(編集・代理アップ by スダチ)
そしてこれが在りし日のJA2110 「RF-4D」 です。
JMGCの看板機ですが、何年も見ていません。早く飛んでいる姿を見せて欲しい、というのが私たちクラブメンバーの願いです。
(画像提供:瀬尾氏 編集 by 寺田)
中澤です。
約3週ぶりぐらいでやっと晴れました。早速、全機出動となり、一日中飛んでいました。
まず、主力機であるグローブG109Bは2機とも朝からフル稼働でした。セスナ172は戸辺さんが航法訓練で大島ということで用意していたのですが、機材トラブルで急遽、もう1機のセスナで飛びだちました。機材トラブルのセスナもすぐに修理できました。
数週間まえに阿部先生がお連れした陽気なアメリカ人のネドさんが、大利根を気に入ってくれたらしく、滞在している親戚の方を連れて、再度訪問されました。早速、直ったばかりのセスナで定番コースの「佐倉VOR−成田空港ー佐原」を飛びました。
そろそろ、草の伸びもとまってきましたが、最後の草刈りに加藤さんは余念がありませんでした。

快晴の大利根飛行場と耐空検査準備中のタイフーン

グライダーは、ASK13,Ka6, Junter, DG500Mがそれぞれ飛行していました。
垣内さんがASK13でソロに出ていました。
(画像提供:遠藤氏)
(原文&画像提供:中澤 編集 by 寺田)
<親方の一時力>
中澤です。
親方の一時力(イットキジカラ)という言葉をご存じでしょうか?
意味するところは、親方(社長)をやるような人間は、だいたいがなんでもできると思っている人が多いものです。ですから、何か事が起きると、自分じゃなくっちゃと出て行くのですが、結局は一時的なもので、役に立たないことを言うのだそうです。

JMGCの整備陣はそれぞれ担当の仕事があり、なかなか「ハスキー」にかかれません。
別の理由もあって、早く直したい社長は「よーーーーし、おれだって整備士の資格を持ってるんだし」と自分でやることにしました。
経理担当者からは、「そんなことしなくたって、三田さんがやってくれるんだから、(じゃまなんだから)請求書を書いてよ」と言われ、整備陣からは「アレマー」と冷たい視線を感じながら作業することにしました。

ところが、はたと気づいたことに、個人持ちの工具を持っていません。いちいちみんなから借りたのでは、ただでさえ、煙たがられているのに、ますます嫌われてしまうと思った社長は、休みの日に工具を買いに走りました。
工具がひと揃い揃ったところで、作業をする毎日なのです。

工場では三田くんは FABOTとか機体の修理をしています。

リペイント工場ではG109Bの胴体の再塗装作業にむけて、大きな「わっか」が胴体にセットされました。
<スダチの正体>
ちまたでうわさになっている「スダチ」の正体がついに判明しました。
これだったんです。

(原文&画像提供:中澤 編集 by 寺田)
台風20号が関東へ接近しましたが、大利根飛行場では被害はありませんでした。
立川基地祭へ出かけていたセスナ150L JA3612が、夕方遅く帰ってきました。オーナーさん自らの手でフェリーされました。
<タイフーンが大利根へ>
中澤です。
今日は甲府の日本航空学園からタイフーンを陸送しました。
最後まで台風20号が気になったのですが、結果的には晴れて楽に作業ができました。飯塚、斉藤、田中裕子が早朝4時に大利根を出ました。
航空学園ではタイフーンに手慣れたジャネット社・岡本さんの指導の元、トラックへの積み込み作業は順調に進みました。

このタイフーンは日本滑空協会がオーナーから借り受けたもので、耐空証明取得後、大利根で運航。滑空協会員とJMGCクラブ員が使用します。
(原文&画像提供:中澤 編集 by 寺田)
<タヌパパ米・ひとまず締め切り>
みなさん、こんにちわ。鈴木/タヌパパです。
たくさんのご注文ありがとうございます。嬉しい悲鳴を上げています。(笑)
予想以上のご注文を頂いて在庫が心配になってきました。この時点でひとまず注文は締め切らせて頂きたいと思います。
次回の注文受付は来月下旬以降に考えます。(在庫があれば)
(原文:鈴木氏 編集 by 寺田)
<タヌパパ米・予約受付> ひとまず終了しました(10.19)
みゆきちゃんです。
タヌパパ米の味を知っている人達の間では、かなり心待ちにされていた今年の“タヌパパ米”。
お待たせしました。いよいよ11月最初の週から入手できることになりました!
“魚沼産コシヒカリ”と表示されているお米も、もちろん美味しいのですが、“茨城産タヌパパ米(コシヒカリ)”は100%の純度で、市販の魚沼産を越える美味しさだと思います。
30kgを1万円で分けてもらえます。ご希望の方は、鈴木啓文さんにご注文下さい。

みゆきさん、みなさん、こんにちわ。
鈴木/タヌパパです。
今年も新米の季節になりました。みゆきさんのご紹介に有りました様に拙宅のコシヒカリを承ります。
30kg単位の玄米で出荷いたします。精米したてが美味しいので、1週間分くらいづつ精米するのが美味しく食べるコツです。
画像は耕作された尾花さんです。ショートパターン内に住んでいます。
30kgでは多いという方は、クラブ員どうしで分けるってのはいかがでしょうか? 4,000円/10kgでもお分け致します。小分け用の袋を用意します。
精米希望の方は30kg単位では無料です。但し、1割程度軽くなります。(27kg程度)
10月29日までのご注文分は、10月30日(日)に大利根飛行場渡しになります。配達をご希望の方は送料着払い宅配便にて承ります。
数に限りがございますので、お早めにご用命ください。
(原文&画像提供:みゆきちゃん&鈴木氏 編集 by 寺田)


記事と画像をさらに追加しました。
寺田です。
今日は朝から視程悪く湿度も高く、時々雨が降っていました。とても飛べる日ではないので事務所でお仕事していたのですが、お昼過ぎから急に青空になりました。別の話も進んでいたようで、慌しく動き始めた人たちがいました。
スダチです。
明日は立川基地で防災航空祭が開催されます。
昨年2351で参加して味をしめたスダチは「今年も行きたいよぉ〜」とお願いしていました。
今年はJMGCに2機の割当てがありました。しかし、クラブ員が大勢来る日曜日に訓練機が2機も居なくなっては大変です。ですので今回は瀬尾さんのG109Bと樋口さんのA150Lが参加することになりました。
スダチは、明日16日は先約があり、参加をあきらめていました。
ところが、明日朝の天気予報が悪く、フライインが出来そうも無いとなり、今日もあまり良くはないが、なんとか飛べそうということで、急遽、近くに住むスダチと長屋さんに声が掛り、A150Lで立川入りすることになりました。
11時30分、大利根に集まったものの、空を見てため息。立川基地の受け入れ準備も整わないと言うことで、早々に中止を決断。この天気でも遊びに来ていたタヌパパと龍ヶ崎へランチに。ゆっくり食べて大利根に帰って来ると、予想外に天候が回復しており、愛さんがもう一度交渉してみようと、立川基地に電話してくれました。
15時00分、JA3612は大利根を離陸。雲を避けながら、15時45分、無事立川基地に着陸しました。今3612は、格納庫内で軍用ヘリに囲まれて眠っています。
本来、フェリーパイロットの予定だった樋口さん、ごめんなさい。明日は基地祭を楽しんで下さい。

左>急に晴れてきたので、急いで機体のおめかし。
右>「行ってきま〜す」
P.S. 格納庫で身分証の提示を求められて、長屋さんが証明書を見せると、一瞬ですが班長さんは絶句して、整備の一人はやっぱりと言ってました。
ジェネアビの民間人と思っていたら、自衛隊の身分証明書を出されたうえ、上官だったから。「やっぱり」と言ったのは長屋さんとどこかで会ったことがあり、その事に気がついていた整備員でした。
(原文:スダチ 代理アップ by 寺田)
<第4倉庫へ珍客が来訪!!>
小山滑空場から以前ダウン・バーストで壊れたハスキー JA4224の胴体と主翼が運び込まれました。
レストア指向で、次々と飛べない機体を買いあさる、どこぞの社長の病気がまた出たようです。

<団塊世代のパーティー>
昭和22年生まれでまだ性懲りもなくグライダーに携わっている「バカおやじ」の会が毎年開かれています。今年で5回目とのことです。肉の万世の会長の鹿野氏のお世話で、万世本店で「性懲りもなく」肉を食べています。画像は現時点では無いのですが、鹿野氏から送ってくれると思います。

慶応、早稲田、法政、青山、立教の面々が集まっています。
この「近況」をお読みの昭和22年生まれの方々、ご連絡ください。来年は飛ぼうと盛り上がっています。
(画像提供:鹿野氏)
[原文・画像提供 中澤氏](編集・代理アップ by 寺田)
予報が外れて良いお天気になりました。
今日は2機のグライダーが耐空検査でした。

左>井上さんのDG800Aです。パイロットは中澤が担当しました。
右>ディスカスJA01MYが久しぶりに飛びました。リペイントも眩しくピカピカです。パイロットは金子オーナー。

こちらは調布から飛来したパイパー・アーチャー。
最近良く大利根を訪問しているようです。
(by 寺田)
中澤です。
実に1週間ぶりの更新です。というのも、先週の3連休は雨のためほとんど全滅で、今週に入ってからは、あまりニュースもありませんでした。
今回はちょっと無理矢理の更新です。

第3工場(飯塚工場)でのひととき

左>第1工場の風景 (荒木棟梁、マッツアン、アイさん)
右>第2工場で。機体内部を点検する二人

タイムアップしたエンジンやプロペラ・ストライクしたエンジンはこんなふうに箱を作り、アメリカへ発送します。
最近、アメリカの法律が変わり、薫蒸した木材しか使えないとかで、梱包費がすごく高くなってしまいます。フライトアシスタンスの寺田由香子がいろいろ調べた結果、ベニヤ板で梱包すれば良いとのことで、大曽根が箱を作りました。
[原文・画像提供 中澤氏](編集・代理アップ by 寺田)
寺田です。塗装室が何やら賑やかでした。
マークさんがグローブの主翼の塗装を落としていたら、下から文字が浮き出てきたそうです。

左>辞書を片手に解読しています。
右>鏡をあてるとドイツ語らしき文字が読み取れました。反転しているということは、製造時でしょうか。

誰かのサインらしいのですが、最後の単語のつづりが読めず、結局分かりませんでした。誰か謎を解き明かしてください〜。
(by 寺田)
朝から小雨の降るロービジ、ローシーリングの日でしたが、午後から回復傾向になり、夕方には青空になりました。
そんな中で久しぶりに姿を見せた2機がありました。

パイパー・アロー 通称:若ちゃん号
(愛称:ウルトラマン・アロー)
若林さんの機体です。
エンジンのオーバーホールが順調に終わり、明日の耐空検査を控えて試験飛行していました。

グローブG109B
お馴染み CLUB SEAGULL の機体です。
北海道の北見農道離着陸場に行っていましたが、雪の降る前にオーナーさん自らフェリー・バックしてきました。
仙台まではたいへん良い天気だったそうです。
なぜか照れるパイロットたち。
この日夕方遅い時刻に、JA3612会のA150Lがゆったりとローカルを飛んでいました。
(by 寺田)
